お礼とかお酌とかめんどくさい!行きたくない。上司との飲み会は、果たして本当に必要なのか?

2021年3月28日

「次は何を飲まれますか?」

「えー! 本当ですか? すごいですね」

「さすがですね!」

OL時代の、私の飲み会対応フレーズのレパートリーである。

以前勤めていた会社では、年末に一度だけ社内の飲み会が行われていた。
一年の疲れを労ってくれようとする会社側の計らいなのであろう。
それ以外は、特に上司から飲みに誘われることもなく、他の会社に比べれば、まったくもって少ない頻度であったと思うのだが、10年勤めていた私は、10回、この飲み会に参加したワケである。

これを多いと思うのか、少ないと思うのかは、人それぞれであろう。
私は、普段からお酒はほとんど飲まない。
そして、住んでいるのは地方のため、車が必須。車がなければ、仕事や買い物、遊びに行くことも不便である。
お酒を飲むとなると、やはりこの車がネックとなる。送迎か、タクシーか、代行か。
それを考えると、そこまでお酒が好きなワケでもないし、ジンジャーエールで十分かなと思ってしまう。

最近の若者は、上司との会社の飲み会は必要ないと考えている、という話をよく聞く。
職場で一日中一緒の空間にいるのに、勤務時間外まで一緒にいたくないとか、別に一緒に食事をしたからといって話すことがない、とか。

私は若者ではないが、大筋でこの意見に賛同する。
年長者はだいたいの場合、自分たちが入ったときの会社はヒドかったとか、自分がキミたちくらいのときは……とか、○○さん(重役)は昔より丸くなったとか、若者にはあまり響かない武勇伝を語る傾向がある。
聞いているこっちの身にもなってくれ……と思っていたのも事実。
だから、年に一度の飲み会もノリ気ではなかった。

しかし、あるとき、習い事の先生と、上司との飲み会についての話になったことがあった。
その先生は、以前は公務員をされていて、職場の飲み会もそれなりにあったという。
先生のご意見は、上司との飲み会は必要、というもの。
仕事中、たしかに接することはたくさんあるが、それはあくまで仕事の上でのコミュニケーションである。
飲み会で、仕事中にはできないような会話をすることで、お互いの知らなかったところを知ることができ、その会話がきっかけで打ち解けて、仕事を円滑に進められるようになる。
だから必要、ということだった。

たしかに、それも一理ある、と思った。
飲み会の翌日に「昨日はお疲れさまでした! ありがとうございました」と言ってから、上司との距離が少し近くなったと感じたり、質問や意見をしやすくなったと感じたりすることがあった気がする。
仕方なく行った飲み会でも、自分のためになることがあったなぁと改めて思った。

そう考えると、上司との飲み会は、大学の講義であると言えるだろう。
それは、必修科目かもしれないし、単位目当てかもしれない。
その講義を取って、楽しみにしていたけれどつまらなかったと思うこともあれば、全然期待していなかったけれどおもしろかったと思うこともある。
しかし、そのつまらない、おもしろいという感想も含めて、参加したことで何か得るものがあるのではないだろうか。

今になって考えると、私の場合、上司との飲み会で、年長の男性、つまり、おじさんとのコミュニケーションスキルを身につけることができたと思っている。

相手への気遣い。「次は何を飲まれますか?」

不快にさせない会話。「えー! 本当ですか? すごいですね」

話していて気持ちよくなるような相づち。「さすがですね!」

おじさんは酔いがまわって饒舌になっているので、ただただ話したいゾーンに入ってくる。
そこで、この3フレーズをいいカンジに繰り返して、あとは時間が過ぎるのを耐え忍ぶ。

飲み会が終わった後、それはもう疲れるし、時間のムダだったと、怒りすら感じることもある。
しかし、そんな飲み会でも、何か自分のために得られたものがある。
そう認識できるのは数年後か、10年後か、さらには何十年後かもしれないが……。

私は、上司との飲み会には進んで参加するわけではないが、機会があれば参加してみることを、今の若者にオススメする。
普段の生活ではわからない、自分の中の気づきに出会えるかもしれないからである。

年長者が若者を「新人類」と例えるのと同じように、若者は年長者を「旧人類」とでも例え、お互いの考えの違いから、お互いを理解し合う一歩にすればいいのだ。
そもそもが違ってあたりまえなのだから。

年長者がこれまでの日本社会を支えてきてくれたのは、誰もが知ること。
そこに敬意を払い、時にはお酒を飲んで、いろいろと話してみてもバチは当たらないだろう。

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