【「いただきます」に込められた本当の意味を理解していますか?いつも残していませんか?】すべての生命に感謝をこめて、食べ物を「いただく」ということ

「いただきます」
私たちは、食べ物を食べるときに、こう言う。

でも、「いただきます」って、何に対して? と思われたことはないだろうか。
ごはんを作ってくれた人に?
それとも、一緒に食卓を囲む人たちに?
はたまた、食べることへの決意表明?

近年、日本では食品ロスが問題となっている。
農林水産省の統計によると、年間600万トン以上が廃棄されているという。
そして、人口に対する1人あたりの食品ロスは、年間およそ51キログラムだという。
すさまじい量である。

日本では食料の多くをわざわざ輸入しているにもかかわらず、それを廃棄している。
なんて、もったいない現状なんだろう。
さらには、そんな食品ロスを発生させている一方で、7人に1人の子どもが貧困により、食べることもままならない。

余って捨てているのに、足りない子どもたちがいるって……どういうことよ。
私の中で、怒りに似た疑問が湧き上がってきた。

私には、4歳になる姪がいる。
車で5分くらいの距離に住んでいるため、よく家に遊びに来たり、一緒にごはんを食べたりしている。
私の母にとっては初孫なので、本当にかわいいらしい。今まで、「私のそばには猫が2匹いればいい」と豪語していたが、その順位は、いとも簡単に入れ替わってしまった。
それは私にとっても例外ではない。長らく大人しかいなかった家に、たった一人の子どもがいるだけで、こんなにも家の中が明るくなるのだなぁと実感している。

そして、そんな姪とごはんを食べていた時のこと。
箸を使うのが上手くなってきたころで、いろいろなものを掴みたいらしく、おかずを取っては自分の皿にのせ、を繰り返し、最終的には食べきることができず、残してしまうことが多かった。
もったいないので、その残り物を食べようかとも思ったが、姪が箸でいじってしまったため、見るも無残な姿で、手を出すことができなかった。
彼女の母親、つまり私の姉も手を出さなかった。同じ気持ちだったに違いない。

そのときに、食品ロスと貧困の子どものことを思い出した。
食べ物を残さないようにと注意はするが、好き嫌いをして、ごはんを残すなんてことも日常茶飯事である。
しかし、その一方で、格差が少ない国と言われているこの日本でも、ごはんが食べられない子どもがいるなんて……。心が苦しくなった。
ひとりひとりの子どもに何かしてあげられるわけではないが、私たちは、目の前にある食べ物を残すことなく食べ切るべきだ。

「いただきます」という言葉には、どのような意味が込められているか。
私は、大学の授業でこう習った。

ひとつは、ごはんを作ってくれた人への感謝。
そして、もうひとつは、命をくれた動物や植物への感謝。

ごはんを作ってくれた人への感謝、これは比較的分かりやすい意味ではないだろうか。
ごはんを作ってくれた人は、食べているときに近くにいることが多いからだ。
それは家族かもしれないし、レストランの料理人かもしれない。

私が、今の世の中に必要だと思うのは、もうひとつのほうの意味。
命をくれた動物や植物への感謝、だと思う。

食べものを「いただく」ことは、供養である。
食べることを通して、動物や植物の命が、私たちの血や肉となり、私たちの身体をつくる。
動物や植物は、私たちのために、食品になってくれた。
動物や植物は、私たちのために、命を差し出してくれた。

命は、誰にも、何にも、ひとつしかない。
その、たったひとつを、私たちのために差し出してくれたのだ。
それを、どうして粗末にすることができるだろうか。

「いただきます」に込められた意味を理解し、その感謝の気持ちを心に持つ。
みんなに分かってもらう必要はない、自分の心の中で感謝すればいい。それが供養だ。

そして、この「いただきます」の意味は、これから成長していく子どもは言うまでもないが、私たちのような大人にも必要なものであると言えるだろう。

大人でも、スーパーですでにパック詰めにされている肉や、切り身にされている魚しか見たことがない、という人がたくさんいるだろう。
実際に食品に加工されている課程や、その事実を目の当たりにするのは、ショッキングで受け入れられないことがあるかもしれない。

しかし、肉はパックのまま生きているわけではないし、魚も切り身のまま泳いでいるわけではない。元は誰もが知っているおなじみの、あの姿かたちをしているのだ。

どういう課程で命を落とされ、食品へと加工していくのかをしっかりと理解することで、命を粗末にできないという思いが人々へ広まっていってほしい。
そして、その思いを大人から子どもまで、多くの人が持つことで、多くの無駄が無くなり、食べ物を「いただく」という本当の意味が人々の心に刻まれていくことを願う。

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